繰り返しますが、モーターコントロールにおいて最も大事なことは本来参加すべき筋肉を全員、その筋肉が元々持つ正しい役割として総動員させることです。
例えば“授業手をあげる動作”のように、手を上にあげるだけでも、からだはあらゆる筋肉を総動員して動く仕組みになっています。
体を動かす箇所が増えると、さらに複雑な仕組みになります。
(歩行はウルトラ複雑です)
複雑にはなりますが、ヒトはそれを生まれてから数年のうちに身につけ、
自然と滑らかに動けるように学習していきます(子供の発達)。
そして、常にできるだけ必要な筋肉が総動員している状況で身体を動いていると
トラブルになりにくく快適に過ごすことができます。
(これが身体をケアするという意味。)
しかし、人は加齢や環境、心理的側面などの影響により、常に“適応と変化”をし続けます。変化をすること自体は自然なことです。
ただ、その中には”好ましい変化”と、”好ましくない変化”があります。
そしてその“好ましくない変化”に、体が対応できない場合はトラブルに発展します。
例えばⅱ章で書いた“変化と適応“ように、10個の筋肉が参加すべき運動の中で、
一つ、2つの筋肉の動きが悪くなる時には残りの8つの筋肉がカバーして同じ動きを維持します。(筋肉A,Bがサボる、C〜Jがカバーする)
その時、8つの筋肉がカバーして動き続け、その8つ筋肉のなかのCやDに特に負担がかかり過ぎる状態になると“コリ”や“張り”など不調になります。
さらにCやDの負荷がかかり続けると“過用=オーバーワーク”といい、
筋繊維が動き過ぎて炎症を起こし痛みとして現れる。
一方動きの悪くなった筋肉(A、B)も、サボっていただけが、さらに休み過ぎて全く動かなくなると、そこも痛みや重さなどの辛い症状となって現れます。
さらにたった1箇所の動きの悪さが、他の遠くの関節や筋肉へ影響して、全く別の場所のトラブルへと発展している場合もあります。
例えばランニングをしている時、足を左右対象に動かしているつもりでも、ずっと昔に右足首を捻挫したことがある場合、実はかばうように右の股関節の動きが少し多めに動き、バランスを取るように頑張った左の腰が痛くなる。。。
というような感じです。
このように、一瞬「昨日走り過ぎだけかな?」と思っても、よくよく原因を探ると
昔の足首の捻挫が原因だった。などということはよくあることです。
ここで疑問が湧きます。
そこまで分かっていて、なぜヒトはトラブルを回避できないのか?
ということです。
一つの原因は、そのような関連があるということが分かってきたのは比較的最近の研究によってエビデンス(因果関係)がわかってきたことだから。
もう一つは、実はこのように“捻挫”というわかりやすいケースばかりではなく、
関節の中の気づかないほど微妙な方向の変化、筋肉や筋膜・靭帯などのある一部分が硬くなるなどごく小さな変化から起こることもあるからです。
小さな関節が数ミリずつ動き、その小さな変化の積み重ねの結果現れる大きな関節のずれ。その関節のずれが連鎖的にからだ全体のバランスを変化させる、ということがあります。
でも、ヒトは毎日身体のことばかり気にしているわけではありません。
大半の意識は生活のこと、仕事のことなどにあります。
身体は生活が円滑に行われるよう“無意識”に微調整をして(されて)生活を維持しているため、自分では意外とそのことに気がつかないのではないのでしょうか?
ここでさらに疑問が湧きます。
そうは言っても、関節がずれたり、バランスが崩れたりすることに
本当に気がつかないのだろうか??